私は子規がどうしても赦せない。

私は子規がどうしても赦せない。あのような山猿が日本近代詩歌の神様となったことがどうしても赦せない。いや、害毒を流さなかったならば、別に構わないのだが、彼によって、世界的にみても、おそらくもっともすぐれた詩歌と呼べる、平安和歌の中心的人物が貶められ、いまだもって万葉の方が古今より優れているという誤った知識が日本全体を覆っている。そして、いまでも、貫之の名誉は回復されていない。「貫之」論を書いて、文化勲章までもらった大岡信もまた、山猿の彼に隷属しているのだから。あえて山猿というのは、山から下りてきてビゴーの描いたサルの様に、西欧列強を猿真似したからである。あの忌々しいヤンキー野郎の野球を始めたのも山猿である。ビゴーは日本人を軽蔑していたわけではない、いや、その逆日本を愛していた、だから西欧文明の猿真似が赦せなかったのだ。崇徳院の言葉「皇を取って民とし、民を皇となさん」は後世の作り話であるが、実際、それが詩歌の世界では起こっているのだ。